本名 砂川正美
昭和36年生まれ(那覇市出身)
小・中・高・と野球一筋のいわゆる野球小僧で幼少期を過ごす。
大学時代はピッチャーとして4年間で27勝の実績を残す。
社会人野球では九州三菱自動車に所属
社会人野球を引退後、沖縄へ戻ってからは牧港自動車で新車の販売に専念。1か月で34台という異例の販売実績を残すトップセールスマンであった。同時に少年野球のコーチ、監督を15年勤める。
野球の指導を通して感謝の気持ち、夢の大切さを伝えていくうちに「夢」と「ありがとう」が組合わさった文字を発案。
自身の4人の子供達も我が家の子育て術で高校球児の夢である甲子園へと導いた。
現在は、学校、企業団体からの講演依頼を多く受ける。講演活動を通して「夢」の文字を自身の夢と共に描き続けている。
沖縄県中部保護司
沖縄県少年補導員
「何の希望も持てない…と荒れ続けていた子が、彼の講演を聴いてからは自分も夢を持ちたいと言うようになったんです」
「あの『お話』以来、子供たちが積極的になり、こんにちわ、ありがとうと自分から元気に話しかけるようになりました」
「授業中じっとしていられない子ばかりが集まるこの学校で、その人が話し出すとなぜかみんな座って最後まで聴いていました」
それはまるで魔法のような不思議な出来事…。でも決しておとぎ話や映画の世界に登場するよくできた作り話ではない。いま沖縄の学校関係者やPTAなどの間で話題となっている、現実に起きたことである。その人の『お話』を聴くと誰もがみるみる良い方向へと変わり出す…そんな噂が噂を呼んで、小中高校をはじめ保育園や幼稚園、社会人向け研修会の現場でも毎日のようにその講話が開かれているという。
●肩肘張らないトークが聴く者の心を惹きつける
2月のある朝、那覇市立大道小学校の教室に彼の姿はあった。これから5年生と6年生を対象に『お話』の時間が始まるのだ。
「こんにちは!今日は皆さんに『夢』のお話をします。『こうしたら夢は叶うんだ!』って実際に体験したことを伝えますネ。僕の名前は砂川正美。いま『砂川先生』って紹介されましたけど、僕は先生じゃありません。北谷町の美浜という観覧車がある街から来た、野球が大好きな頭の禿げたフツーのおじさんです(笑)」
子供たちの間から弾けるような笑い声が上がり、室内の空気がスッと和らぐ。そうやって話し手と聴き手の間に横たわる見えない壁が姿を消すのを見計らい、砂川の話は本題へと入っていく。難しいことは抜き、逸話はどれも身近でイメージしやすいものばかり。気取らず、素朴で肩の力が抜けた自然な語り口に寸劇まで交えた愉快なトークは、聴く者の心を素直に惹きつける。
「小学生のころは正美ちゃんって呼ばれてました。正直、僕のこの顔に正美ちゃんはアンバランスだろって思う人は手を挙げて…ありがとう…やっぱり思うよネ(笑)。僕もそれが好きじゃなかったので、ある日お母さんに『もっとカッコイイ名前が良かったのに』って言いました。そうしたらネ『その名前は大きくなったら美しくなるってことなんだよ』って言われたんです。そっかぁと思って中学生、高校生と期待したけど…ならない。でも大人になってみるとホラ、ツルツルピカピカ光って美しい頭になってる!!しかもこの見た目とアンバランスな名前のおかげで、みんなにすぐ覚えてもらえます。人は生きていくうちに嬉しい!って涙が出るほど感激する特別な瞬間が何度かあるんだけど、みんなのお父さん・お母さんは皆さんが生まれてきた時にそう思ったはず。そして一生懸命考えて付けてくれたのがその名前です。だから喜んで大切にして、両親に『ありがとう』って伝えて下さい。お父さん・お母さんはますます皆さんのことを大好きになって、アナタのファンとして応援してくれるはずです」
●感謝とファンの支えと成功のイメージ。
そこに努力が重なる時『夢』は叶う。
物にも人にも自分の周りのすべてに対して常に感謝の気持ちを持つこと—。その感謝をきちんと言葉に表すことであなたを支えてくれる身近なファンを増やそう—。砂川はそれを『ありがとう大作戦』と呼び、『感謝』こそが『夢』を叶える第一歩…と説く。グローブさんありがとう。お箸さんありがとう。送り迎えやお弁当を作ってくれてありがとう…感謝の心とファンの支え、そして自分自身の成功イメージ。そこに日々の努力が重なる時『夢』は叶うというのが彼の持論だ。
「まずは自分の『夢』を決めましょう。人の役に立つこと、みんなが喜んでくれること…。焦らなくてもいいから自分が納得できて、叶った瞬間『俺ってカッコイイ!』『私って最高!』って思えるようなステキな『夢』を持って下さい。大切なのは『プロ野球選手になりたいけど…俺って背は低いし、足も遅いから無理』とか考えないこと。『パティシエになりたいのに…目玉焼き一つ焼けないからダメ』なんて思わなくてイイ!それよりも『お医者さんになって病気や怪我で苦しむ人を助けたい!』のなら、自分が助けた患者さん達が喜んでくれたり、先生ありがとう!と言われて嬉しいなぁって思ってる自分を想像しましょう。そうやってうまくいく自分をイメージしながら努力すれば『夢』は叶います!!僕には四人の息子たちがいるけど、彼らは全員『甲子園に出る夢』を実現できました。バットやスパイクなど毎日使う道具をはじめ、応援してくれる人たちにも毎日『ありがとう』と言っていたんです。そして『夢』を紙に書き、甲子園や自分の写真と一緒に子供部屋の壁にペタペタ貼っては将来グラウンドで活躍する自分の姿を想像してニヤニヤしていました(笑)。もちろん練習を頑張ることも忘れてません。さぁ皆さんもぜひ今日お話ししたように『夢』を描いてみてください。今日から『ありがとう大作戦』をやってみたいと思った人!?」
ハイ!!と勢いよく手を挙げる子供たちの表情には『お話』の前とは明らかに違う、キラキラした瞳が輝いていた。
●沖縄中の子供たちに、頑張ろうって思ってほしい
『お話』を終え子供たちとのやりとりも一段落したところで、講話活動を始めたきっかけを砂川に尋ねた。身振り手振りを交えた渾身のトークで額に浮かんだ汗をぬぐいながら彼が言う。
「僕ネ、地元で浜川ジャイアンツって少年野球チームを指導していたんです。始めた頃は試合の度に負けてばかり、全然勝てない弱小チームだったけど、子供たちと『ありがとう大作戦』をはじめてから、あれよあれよと強くなって県大会を制覇、全国大会に出場できました。それを知った地元の小学校から是非講話に来てほしいと頼まれたのがすべての始まり。話術もないから自分の体験を伝えているだけなんですけどネ」
照れくさそうに笑うその表情に、砂川の純粋な一面が垣間見える。そんな彼に質問をぶつけてみた。ともすればクールさばかりが優先される現代、世の中には現実に押しつぶされ元気を失った人たちも増えている。『夢』なんて…と一笑に付す人もいるだろう。今、なぜ砂川はあくまで『夢』にこだわるのか…。
「『夢』にはネ、それを叶えようと努力することで人を成長させる力があるんです。積み重ねてきたことは無駄にはなりません。だから僕はみんなに『夢』を持ってほしいし、一つ叶わなかったから人生おしまいって諦めてほしくない…。叶っても叶わなくてもまた生きていくわけだし、誰でも次の夢を持てばイイ。あなたを応援してきたファンの人たちもきっと色んな形でまた手を差し伸べてくれるはずだし、違った形で自分の能力を開花させる方向を見つければいいじゃないですか。僕はただ真摯に子供たちと向き合い『夢』の叶え方を伝えていくことが使命だと感じています。沖縄を、この国を元気にしていくお手伝いをしているんだなって思うこともありますよ。一校でも多く沖縄中の子供たちにこの話を伝えて、すべての教室に僕が書いた『夢』と『ありがとう』の色紙を残すこと。その文字を見るたびによし、頑張ろうって思う子供たちを増やしたいと思っているんです」